『目呂二抄』
目呂二没後の15年後、
1974年(昭和49年)に
アポロン社(現存せず?)より
刊行された、
目呂二のエッセイ集。(絶版)
妻スノ子が
遺作の整理をしていた折、
生前親交の深かった
料治熊太より、
強く出版を勧められたという。
幼少の頃の思い出から暮らしの風景、
自然に対する想いや猫のことまで
肩肘張らず、率直でありながら、
且つウィットに富んだ目呂二の文章は、
虚飾を排して、ものの真を見極めようとするスタイルが、
まさに彼の画と同様の感慨を抱かせる。
絵を描いても、塑像を練っても、
句をひねっても、文章をしたためても
それら作品の中には、まっすぐに筋の通った自由人・目呂二が、
どっしり座って居るのである。
大正モダンを駆け抜け、昭和を美しく生き抜いた 目呂二。
軽井沢追分の自然の中で、
晩年の暮らしをつつましく紡いでいた目呂二が
最後にたどり着いていた心の境地を、
次の短いエッセイの中に、少しばかり窺うことができる気がする。
『 山はふるさと 』
私は山へ行くのは神に逢いに行く事であると言いたい。
古来森羅万象の生みの親を造物主と呼んでいるが、
私は万象と造物主とを対照的に考えたくないので、
万象は直ちに神である、という建前で大自然はつまり神である、
と解釈している。
然しながら、茲(ここ)にいう神は、何を指すかと白状しておかぬと、
筋が通らぬので聊(いささ)か説明を試みると ---
森羅万象は造物主の作品であり、
表現した万象はいうまでもなく神の風貌である。
抽象的ないい方であるが、ここに 山をふるさと という所以のものは、
そこの祖先の眼に映じたであろうところの一切が、そのまま保存されており、
来るものをして、味うものをして、好むところによって、
万人無差別に、そのすべてを開放しているからである。
此処をしも、ふるさとと言わなかったら
吾等は死を以て購う墓場以外には、
大自然のふところには無いはずである。
翻って文化の砂塵まき返す下界にあっては、
生活意慾に対する僅少な便宜があるばかりである。





